「震災前は周りに民家があったので海までもう少し距離があるように感じていましたが、こんなに目の前なんですね」
記憶の中にある眺望と重ね合わせながら、海のほうに目を向けるマルカ川商(岩手県大船渡市)の川原睦夫さん。大船渡湾の湾口を望む同社工場と海との間には、かつて民家が軒を連ねていましたが、東日本大震災の津波ですべて流されてしまいました。そのかわりに姿を現したのは、見上げる高さの防潮堤です。
「震災当日、私は車で3分ほどの場所にある自宅で休んでいました。2日前にも大きな地震がありましたが、その日は揺れが長くて大きかった。停電でテレビが映らなくなり、情報が全く入ってこない状況でしたが、ほとんどの人は『津波が来る』と思ったんじゃないでしょうか。大船渡には数十年おきに大きな津波が来ているので……」(川原睦夫さん、以下「」内同)
川原さんは子供の頃、明治生まれの父、大正生まれの母から、津波の恐ろしさを聞かされていたといいます。1896年(明治29年)の明治三陸地震、1933年(昭和8年)の昭和三陸地震、1960年(昭和35年)のチリ地震。大きな地震のたびに、大船渡の町は津波に襲われました。川原さん自身、8歳の時にチリ地震の津波を体験しています。
川原さんの自宅は高台にあるため津波の心配はありませんでしたが、気がかりだったのは工場にいる従業員たちのことでした。川原さんはすぐに工場に駆けつけましたが、従業員は全員避難していました。
「私は両親から『津波があったら逃げなさい』と言われてきたので、従業員にも、『もし地震があったら何も持たなくていいから逃げてくれ』と普段から言っていました。みんなその言葉通りに避難してくれて無事でした」
東日本大震災の津波は、川原さんが聞かされてきた過去の大津波を上回る規模でしたが、「いつ来てもおかしくないと思っていた」という川原さんの防災意識が、従業員たちの身を守る結果となりました。しかしながら、工場と冷蔵庫は全壊。マルカ川商は操業不能となり、従業員も一旦解雇せざるを得ませんでした。
「冷蔵庫内には冷凍していたイカやサバが流されずに残っていましたが、津波の海水で解け、暖かくなると臭いがきつくなってきました。工場の片付けは5月のゴールデンウィークまでかかり、復旧工事をしたのち、9月に事業を再開しました。当時は手に入る原料が少なかったので、大手メーカーから仕入れたイカのカット加工の仕事から始めて、徐々に仕事を増やしていきました」
1978年(昭和53年)、それまで勤めていた大船渡市内の水産会社を辞めて独立した川原さん。当時20代半ば過ぎだった川原さんは、「鮮魚をサイズごとに選別して氷詰めにする鮮魚出荷の仕事なら、資金や設備を持たない自分でもできそうだ」と考え、事業を始めたのだそうです。13年前に現在の場所に工場を移転してからは、加工の仕事を本格化させています。
「当社はサバ、イワシ、イナダなど地元の魚を仕入れて、冷凍あるいはフィーレの加工品として出荷しています。主に首都圏に出荷していますが、最近は国外向けも増えています。東南アジアやアフリカの需要が伸びていますね」
2013年には、ワカメの冷蔵保管庫が完成。現在、「ワカメの保管業」はマルカ川商全体の売り上げの2割ほどを占めており、事業の柱の一つになりつつあります。
「三陸地方のワカメの水揚げは、毎年3月頃に集中します。加工各社はその時期に一年分のワカメを買い付けますが、自社の保管庫に入りきらないこともあります。当社ではそういったワカメをお預かりして、冷凍保管しています。震災前にもやっていた事業ですが、震災後にグループ補助金を利用して建て替えて、より大きな規模で保管事業を展開できるようになりました。お客さまからのリクエストに応じて、ワカメに最適の温度で保管しています」
インフラ整備が進む一方で、取り巻く環境は悪化していきました。水産加工業界に広がる原料不足、人材不足といった問題が、マルカ川商にも降り掛かったのです。
震災前、マルカ川商には14人の従業員がいましたが、震災後は10人ほどで横ばい状態が続いています。募集をかけても人が集まらないため、川原さんは販路回復取組支援事業の助成金を活用して、作業を効率化するための機材を導入しました。この日はちょうど、同事業で導入したフィーレマシンを使って、イナダのフィーレ加工をしているところでした。
「この機械のおかげで、作業効率が3倍から4倍アップしました。震災前よりも人は減りましたが、生産量と販売量は増えています。カットが速いだけでなく仕上がりもきれいで、販売先からの評判も上々です」
フィーレマシンの他には、製品を凍結庫にしまうための凍結棚(スチールラック)とパン、そしてそれを運ぶフォークリフトを購入しました。多くの製品を同時に運搬・収納することができるようになり、作業の負担軽減だけでなく、製品の鮮度保持にもつながっています。
新機材の導入効果はあったものの、マルカ川商の業績は依然として、震災前の水準に達していません。原料不足や人手不足は、今後も続いていく課題です。
「イカやサンマ、サケが手に入りにくくなっていますが、ブリ系やイワシが増えているので、そちらをこれまでより多く扱っていくことになると思います。問題は高齢化です。震災から7年が経ち、私も従業員もその分だけ年齢を重ねました。そういう意味では、今回のフィーレマシンには本当に助けられています。大きな魚を手作業でカットするのはとても大変な仕事。それが自動化されただけでも大きい。今後は従業員の負担を軽減する機械設備がさらに必要になってくると思います」
復興事業が続くことを切望する川原さんですが、これまでの申請手続きは簡単ではなかったといいます。マルカ川商では、自社にあった書類、パソコンなどがすべて津波で流されてしまいました。そのため、自身の記憶を頼りに申請書の必要事項を埋めていかなければならないこともあったそうです。
「当社のような規模だと、そういった手続きなどを行う担当者を置く余裕もありません。被災後の工場の片付けをしながら、工場の建設工事の手続きを進めながら、そして事業を進めながら、必要書類を揃えました。なかなか大変でしたが、販路回復への道筋が見えて本当に良かったと思います」
防潮堤の建設や、土地のかさ上げ工事が続く三陸地方ですが、水産加工業もまだまだ復興したとは言い難い状況。川原さんは、今後の事業展開をどのように考えているのでしょうか。
「人が増えればいいのですが、それはなかなか難しい状況。ですから、新しいことを始めるとか、今より大きな規模でやっていくといったことは考えていません。それよりも、今の仕事の効率、品質を高めていくことに集中したいと思います」
マルカ川商株式会社
〒022-0002 岩手県大船渡市大船渡町字砂子前104-4 自社製品:冷凍加工、各種フィーレ加工、ワカメ保管業
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。