販路回復 ・ 助成事業 ・ アドバイザーについて、
まずはお気軽にご相談ください
ご相談のお申し込みはこちら
企業紹介第48回宮城県気仙沼ほてい株式会社

生鮮カツオ水揚げ日本一気仙沼より「自慢の炙り鰹」

「復興への道 - まずは生鮮カツオからやろう」

東日本大震災の津波で破壊された気仙沼漁港(宮城県)でしたが、魚市場関係者たちは、震災前年まで14年連続水揚げ日本一を誇ってきた生鮮カツオを復興の旗印とすべく、市場の復旧に全力を注いだといいます。その努力が実を結び、気仙沼魚市場は震災から3カ月あまり経った6月23日に再開。その5日後にはカツオの水揚げも再開されました。震災の年も、そしてその翌年以降も、気仙沼漁港は生鮮カツオの水揚げ日本一。2017年も日本一は確実で、連続記録は21年に更新される見込みです。

フカヒレスープや魚の缶詰などを製造する気仙沼ほていの専務取締役、熊谷弘志さんは、震災のあった年をこう振り返ります。

気仙沼ほてい専務の熊谷弘志さん
気仙沼ほてい専務の熊谷弘志さん

「気仙沼ではサンマ漁船や大型の巻き網漁船が津波で大打撃を受けましたが、カツオ漁船は小笠原や西日本の海にいたため無事でした。水揚げがすぐに再開されたことを受けて、津波で本社工場と生鮮品工場、倉庫などを失った当社も、協力会社の工場を借りて、生鮮カツオの出荷とカツオのたたきの製造から復興を目指すことにしました」(熊谷さん)

とはいえ、さすがに震災の年の水揚げ量は激減しました。気仙沼漁港では、2010年に約4万トンあった生鮮カツオの水揚げ量が、2011年に約1万5千トンにまで減少。他の魚種に関しても激減しました。そんな厳しい状況にあっても、気仙沼ほていは「地元の魚」を使うことにこだわり続けました。

「缶詰会社からの分社化により1984年に設立された当社は、輸出依存型のビジネスモデルにかげりが見えていたことから、三陸ブランドを前面に押し出す方向にシフトしました。以来、マグロ、メカジキ、サケ、アワビ、ウニなど、地元で取れるものなら缶詰に限らず、レトルト品、生鮮品、何でも作ってきました。地元の魚を扱うことにこだわっているのは、それをしないと商品にストーリーが生まれないからです。その基本は、震災前も震災後も変わりません」(熊谷さん)

「建物よりも高台へ」の教訓

チルド加工部部長の小松浩信さんは、本社工場にいた時に地震と津波に見舞われました。

「2日前にも震度5弱の大きな揺れがあって、津波注意報が出ていました。そろそろ本当に大きな地震と津波が来るのではと思い、朝礼で避難経路を確認した翌日に大きな揺れがありました。事前に意識が高まっていたこともあって、避難場所に集合してから高台への移動はスムーズに進みました」(小松さん)

チルド加工部部長の小松浩信さん
チルド加工部部長の小松浩信さん

しかし高台から見た光景は、想像を絶するものでした。自分の車が流されていく様子を、誰もがただ見守るだけ。人が乗っている車からは「助けてくれ」と叫ぶ声が聞こえていましたが、どうすることもできませんでした。

小松さんたちは震災記録誌の表紙にも使われた場所に立っていた
小松さんたちは震災記録誌の表紙にも
使われた場所に立っていた
避難した高台から会社を撮影(小松さん提供)
避難した高台から会社を撮影(小松さん提供)

気仙沼ほていの本社工場付近には、市に津波避難場所として指定されていた他社の大きなビルがありました。その場所には400人ほどが避難して全員が無事だったものの、決して安全ではなかったといいます。

「建物は津波に耐えましたが、目の前に重油タンクが流れてきてとても危ない状況だったんです。もし引火していたら、大変なことになっていたと思います。建物はあくまで緊急避難用であるということを再認識しました。逃げる時に時間があるのなら、高台に避難すべき。建物にいて助かっても、海水が引くまでは移動もできません」(小松さん)

別の場所にいて無事だった専務の熊谷さんは、津波が引いた後、全壊した工場に戻ってきました。
しかしそれは、熊谷さんがいつも目にしていた工場ではありませんでした。

気仙沼ほてい本社工場外観(手前に魚船が流れ着いている)
気仙沼ほてい本社工場外観
(手前に魚船が流れ着いている)
全壊した気仙沼ほてい本社工場内部
全壊した気仙沼ほてい本社工場内部

事業の休止を余儀なくされた気仙沼ほていでは、当時160人ほどいた従業員全員を一旦解雇せざるを得ませんでした。そのため、工場の片付けは熊谷さんを含めて3~4人ほどで行っていたといいます。

「何から手をつけたらいいのか分からないほどで、途方に暮れました。でもここで働いていたみんながボランティアとして少しずつ集まり始めたんです。そのおかげで、生鮮品工場だった建物を改築して、缶詰・レトルト工場として年内に再稼働させることができました」(熊谷さん)

一方、本社工場は完成するまでに4年半の歳月を要しました。土地のかさ上げ工事が行われていたためです。本社工場のある地区では、今も一部の場所でかさ上げ工事が行われていますが、徐々に新しい工場が建ち始めています。

現在の本社工場周辺の様子(写真奥は震災時に従業員が避難した高台)
現在の本社工場周辺の様子
(写真奥は震災時に従業員が避難した高台)
現在の本社工場(平成27年10月竣工)
現在の本社工場(平成27年10月竣工)

効率化と新商品開発に貢献する新機材

気仙沼ほていでは、生鮮カツオを仕入れたその日のうちに加工しています。

解体されたカツオが、次々に火の中へ。この日はカツオのたたきが製造されていました。同社のカツオのたたきは、大変人気があり、内陸部のスーパーがわざわざ片道5時間もかけて買いに来るほどとのこと。冷凍カツオのたたきよりもとろけるような食感が特徴なのだそうです。

熟練の手によって手際よくカツオが解体されていく
熟練の手によって手際よくカツオが解体されていく
脂ののったカツオが火にあぶられていく
脂ののったカツオが火にあぶられていく

従来は、ここから先の計量や箱詰めの作業を人の手で行っていましたが、効率化を求めていた同社は水産加工業販路回復取組支援事業の助成金を活用し、これらの作業を自動化する機械を導入しました。

自動計量システムには自動印字装置(消費期限等印字)なども含まれている
自動計量システムには自動印字装置
(消費期限等印字)なども含まれている
生鮮製品に欠かせない氷詰めの作業も格段に楽になった
生鮮製品に欠かせない氷詰めの作業も格段に楽になった
脱気密封包装されたカツオのたたき(下)
脱気密封包装されたカツオのたたき(下)
スライスして盛り付けたもの(皮目を中心に表面だけ焦げ目が付き、身はレアの状態)
スライスして盛り付けたもの
(皮目を中心に表面だけ焦げ目が付き、身はレアの状態)

導入した機械は作業を効率化するものだけではありません。新商品の製造に貢献しているのが、薫煙(くんえん)装置とスチーム式焼成機です。カツオを蒸して加工する「カツオのなまり節」は商品化に結びつきました。カキのオリーブオイル漬け、ホヤのオリーブオイル漬けなども商品化し販売を始めました。今後はスモークサーモンなどの製造も考えているようです。

「原料不足によって量を作ることが難しいとなると、加工度を高めた商品を出していく必要があります。そうすることで、雇用も安定するでしょう。幸いにも気仙沼にはいい原料が揚がっていますので、これらに高付加価値をつけた商品を出していくことが、地元のPRにもつながると思います」(小松さん)

新たに導入した燻煙装置
新たに導入した燻煙装置
カツオなまり3品。左からプレーン、オリーブオイル漬け、かつお煮
カツオなまり3品。左からプレーン、
オリーブオイル漬け、かつお煮
燻製牡蠣のオリーブオイル漬け、燻製海鞘のオリーブオイル漬け
燻製牡蠣のオリーブオイル漬け、燻製海鞘のオリーブオイル漬け

生き残るためには自社ブランドしかない

新しい工場が完成し、機械もそろい始めている。しかし専務の熊谷さんによると、気仙沼ほていはまだ震災前の60%ほどしか回復していません。今後さらに必要なのは、人材の確保、そして自社ブランドの育成であると熊谷さんは言います。

「我々は自社ブランドで成長してきた会社です。フカヒレスープはブームにも乗って、国内原料を使ったフカヒレスープの国内シェアの4割を占めていたこともあります。ビンチョウマグロを生鮮品として刺し身で提供を開始したのも当社が初です。他にも多くの自社ブランド製品を送り出してきました。委託製造の仕事も大切ですが、今後も『自社ブランドで勝負するしか生き残る道はない』というつもりで、新しいブランドを作っていきたいと思っています」(熊谷さん)

全壊した工場の片付け作業で、何からすればいいのか分からなかったという熊谷さんが最初に手をつけたのは、缶詰のレシピ探しでした。瓦礫をかき分けて、泥だらけのロッカーの中からレシピを回収したといいます。この一枚のレシピから、気仙沼ほていの復興ストーリーが始まったと言っても過言ではないでしょう。

震災で気づいた、自社ブランドの大切さ。気仙沼ほていは自社ブランドのさらなる構築で完全復活を目指しています。

気仙沼ほてい株式会社

気仙沼ほてい株式会社

〒988-0003 宮城県気仙沼市本浜町1-43-1(本社工場)
自社製品:カツオのたたき、ふかひれ濃縮スープ、各種缶詰 ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。