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企業紹介第26回茨城県まるさ商店

創業100年をめざして新たな視点で見出した商品開発

まるさ商店代表の鈴木仁さん。自ら市場での仕入れ、工場での製造、店舗販売までを日々行う
まるさ商店代表の鈴木仁さん。
自ら市場での仕入れ、工場での製造、店舗販売までを日々行う

サンマ、イワシ、サバなどのみりん干し、シラス干し、干物、昆布の佃煮など、常時20品以上の加工品を工場で手づくりしているまるさ商店。現在、従業員数は4名、代表の鈴木仁さんが仕入れた魚を自宅に隣接した工場ですぐに加工。工場から車で5分の立地にある大津港に構える「ようそろー物産館」内の直営店舗で販売するほか、北茨城市近郊で車での移動販売も行っています。移動販売を担当しているのは妻の恵美子さん。

その生産品数の多さには、店主の鈴木仁さんのこんなこだわりが込められています。

「鮮度にこだわって、朝仕入れたものをできるだけその日のうちに加工するようにしています。だから、何を作るかはその日の漁しだい。その日揚がった魚のなかからよいものを選んで、毎日作りすぎないようにするのも、おいしさを保つため。だから必然的に少量ずつの多品種になります。大量に仕入れて冷凍し、大量に生産する加工業者と差をつけるためには、自分がまめに足を動かして、家族で経営するまるさ商店としての強みをいかさなくては、と思っています」(鈴木仁さん・以下「」内同)

大津港隣接「ようそろー物産館」内に構える直営店舗「まるさ商店
大津港隣接「ようそろー物産館」内に構える
直営店舗「まるさ商店」

そう語る鈴木仁さんの一日は本当にめまぐるしく過ぎていきます。
4時前には起床して近隣の中央市場へ原料の仕入れ。帰宅後は店舗用の商品準備を始め、工場で指揮しながら加工品を製造、11時に今度は大津港への仕入れ。工場での製造をしながら、合間に資材や材料の買い出し、16時には店舗のパート従業員と交代し17時に店締め。市場が休みの日は、工場での製造に注力し、新しい製品の試作やアイディアづくりなども。さらに、工場が休みの日曜日はパート従業員も休みになるため、1日店に立ちます。

直営店舗の「まるさ商店」には「手づくり」「自家製」「本日できたて」と書かれた加工品がずらりと並びます。

まるさ商店にずらりと並ぶ自家製の加工品。各種みりん干しや佃煮が人気。消費者との対面販売は貴重な情報収集の場にも
まるさ商店にずらりと並ぶ自家製の加工品。各種みりん干しや佃煮が人気。消費者との対面販売は貴重な情報収集の場にも
まるさ商店にずらりと並ぶ自家製の加工品。各種みりん干しや佃煮が人気。消費者との対面販売は貴重な情報収集の場にも
まるさ商店にずらりと並ぶ自家製の加工品。
各種みりん干しや佃煮が人気。
消費者との対面販売は貴重な情報収集の場にも

まるさ商店は昭和5年。鈴木仁さんの祖父、磯吉さんが創業、当時は主に煮干し、イワシ丸干し、かまぼこやちくわなどを製造していました。仁さんの代になってからもシラス干し、煮干し、イワシ丸干しなどが主力商品。販売先は卸売市場主体で、店頭での販売は少量でした。

震災で仕入れ先を失う。
移動販売から始めた復活への挑戦

2011年の東日本大震災が起きるまでは、福島県いわき市の勿来(なこそ)漁港で原料の8割を仕入れていたという鈴木さん。地理的にも車で10分ほど近く、通常は1泊で行われることの多い底引漁で、勿来漁港は日帰りでの漁が多いため鮮度もよかったからだそう。少しでも鮮度のよいものを、という鈴木さんのこだわりです。

茨城県北東部、福島県との県境に位置する北茨城市、大津港。東日本大地震の当日、北茨城市では震度6弱、津波によって大津港はじめ、市内の太平洋沿岸部は大きな被害を受けます。
地震と津波の被害で、工場と隣接する自宅は大規模半壊でした。しかし、北茨城は福島県との県境のため福島海域での漁が多く、地震と津波の被害よりもその後の原発事故による影響が大きかったといいます。

勿来漁港は操業停止に(現在は週2、3回の試験操業中)。仕入先を失ってしまいます。

「当時は本当にこの先どうしたらいいのかな、やっていけるのかなという不安しかなかったですね」

工場内の設備も多くが被害を受けて使用不能に。
それでも、およそ3カ月後には、修理を終えて使える設備だけでみりん干しなどから製造をはじめ、車での移動販売を再開させました。

「とにかく動かないと、何も始まらないからね」

消費者から直接集めたニーズに合わせて新しい機器を導入

1年かけて工場の復旧作業を終え、生産能力は、震災前まで復活させることができましたが、原発事故による影響で、売り上げの回復はまだまだ途上です。

「なにもしないままではいけない」。

そう思った鈴木さんは、茨城県内、栃木県、千葉県、東京都などで北茨城商工会主催などのイベントに出店するように。そこでまるさ商店の今後の事業展開のヒントを得ます。

「対面販売だったので、お客様と努めて話して要望を聞き取りました。そこで『少量だけ購入したい』『調理せずすぐに食べられるものがほしい』という声を多く聞きました。それに包装資材のひとつにしても、市場向けの卸売がメインだったそれまでとは、まったくニーズが違っていました。市場向けの資材には、大量に保管しやすくすることが求められますが、同じように発泡スチロールに商品を入れて持っていったら、『ゴミが出るしかさばるからいらない』と。それらの消費者の声を参考に、うちの商品に付加価値をつけようと思ったんです」

そこで、復興支援事業の助成金を利用して、焼き魚などを調理できるスチームオーブン、少量、単品ごとに小分けして真空包装できる密着真空包装機、少量でも効率よくシラスなどをゆでることのできる回転式蒸気釜を購入。

主力商品のひとつ「4枚入りさんまみりん干し」を1枚ずつの単品包装にして販売したところ、当初予想の1・5倍の売り上げとなりました。

震災前に使用していた釜は少量をゆでるのには向かないため、導入した回転式蒸気釜。沸騰も短時間でできるためコスト面でもメリットが大きい
震災前に使用していた釜は少量をゆでるのには向かないため、導入した回転式蒸気釜。沸騰も短時間でできるためコスト面でもメリットが大きい
スチームオーブン。調理済みの製品へのニーズに合わせて焼き魚などをつくる
スチームオーブン。
調理済みの製品へのニーズに合わせて
焼き魚などをつくる
密着真空包装機でサンマのみりん干しを包装する
密着真空包装機でサンマのみりん干しを包装する
並べて真空包装したものを1枚ずつにカット、冷凍して出荷
並べて真空包装したものを1枚ずつにカット、冷凍して出荷

店舗ではすぐに食べる自宅用には包装しないままのもの、お土産や日持ちするものを、というお客様向けには真空包装したものを、とじつに細かいニーズに合わせて陳列しています。こうした対面販売だからこそ見えてきたニーズに合わせて、新商品開発を進めてきた結果、もともとは市場向けの業務用商品が売り上げのほとんどを占めていましたが、現在は店舗での小売り7割、移動販売2割という割合に変化しました。

「ニーズに合わせた商品開発がこれらの機械おかげでできるようになったので、残りの1割の売り上げを伸ばしていくこと。直接消費者に販売できる販路開拓が課題ですね。たとえば高速道路のサービスエリアの店舗の軒先を間借りして出店させてもらえないか、などを考えています。」

原発事故の影響で市場に卸してきた商品の売り上げは低迷しましたが、北関東自動車道が開通したのを機に、栃木や群馬からの個人のお客様が来るようになったそうです。

「毎月、買いに来てくれるお客さんもいて本当にありがたいですね。工場長のような存在だった母親が、平成24年に亡くなってから、工場、店舗、市場と行き来していると思うように指示が出せず、なかなかアイディアを形にできないこともあります。母と父が健在なうちにもっと、加工品のレシピをくわしく教えてもらっておけばよかったなと思いますね。でも、主力商品であるみりん干しは私、佃煮は妻が、しっかりとその味を受け継いでいます」

取材に伺った際、工場では「あじさんが焼」をつくっているところでした。

工場内の様子。少量ずつ多品種を作る
工場内の様子。少量ずつ多品種を作る

「この、あじさんが焼も今までは5個入りのものだけだったのですが、お客様からの要望に合わせて、1個ずつの単品包装も販売してみようと思っています」

工場長のような存在だったという鈴木さんの母、ミヤ子さんが考案した「あじさんが焼」。今後単品包装での販売を予定
工場長のような存在だったという鈴木さんの母、
ミヤ子さんが考案した「あじさんが焼」。
今後単品包装での販売を予定

さらに、鈴木さんは控えめな口ぶりながらこう話してくれました。

「保存料などの添加物は使っていません。大量生産して大量に卸すようなことはできないし、自然相手だから漁しだいで作れる商品もちがってくる。だから、スーパーなどに卸そうとすると、規格や条件が合わないんですよね。だけど、誰もが知る有名ブランドにはならなくても、一度食べて味の違いを知ってもらってまた食べたくなる、隠れブランドのような存在の店になれたら、と思っています」

創業100年を見据えて
人とのつながりで新たな活路を得る

これまでとは違う販売先、対面販売で集めた消費者のニーズに合わせて商品を開発していくなかで、製造に加えて新しい事業展開も見えてきたといいます。

勿来漁港で仕入れができなくなって通い始めた近隣の中央市場には、全国から魚が集まります。毎日足を運ぶうちに、人とのつながりもできはじめ、密着真空包装機を使ってうちの商品を単品包装してもらえないか、また少量包装した商品や簡便調理商品を市場に卸さないか、という話も出てきたそうです。

「毎日通ってきたからこそでしょうか。徐々にできた人のつながりのおかげですね。被災後、なにかしなくてはと消費者の声を聞き新しい機械を導入して方向転換を図ったのですが、もともと行っていた製造卸し販売にも活路が見えてきました」

被災後、一度は「やっていけるのか」と途方にくれたという鈴木さんが支えにしてきた目標があります。

「昭和5年の創業からあと12年で創業100年を迎えます。今、私は63歳になりますが、それまではなんとしても続けるんだと思っています」

祖父の代から父と母、妻と守ってきたまるさ商店にしかできない味。被災後、新たな視点でお客様との会話、対面での販売を大切にした結果見えてきた、まるさ商店の付加価値。

創業100年を目標に、またその先も続くまるさ商店の付加価値を確かなものにするため、今日もまた明日も鈴木さんは、市場、工場、店舗と足を動かし続けていることでしょう。

まるさ商店

まるさ商店

〒319-1715 茨城県北茨城市関南町神岡下378-2
自社製品:シラス干し、イワシ、サバ、サンマなど各種みりん干し、
干物各種、シラスの佃煮、昆布の佃煮 ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。