JR釜石駅(岩手県釜石市)の駅前にある「鉄のモニュメント」には、こう刻まれています。
「ものづくりの灯を永遠に」
その灯の火種は、道路を隔てた向かい側にある新日鉄住金釜石製鉄所で保存されている「高炉の火」。5年前の震災時、ガスの供給がストップするなどしてモニュメントの火は一時的に消えていましたが、その年の12月1日(鉄の記念日)に再点火して以降は、ものづくりの町・釜石の象徴として、そして復興の旗印として、24時間絶やすことなく火をともし続けています。
この町で、ものづくりの魂を宿すのは鉄鋼業界だけではありません。 水産の世界でも負けじとものづくりにチャレンジする人がいます。それも、イカに特化して。
井戸商店の社長、大橋武一さんはもともと東京で働くシステムエンジニアでした。この会社で働くようになったのは18年前のことです。
「先代社長の長女が、私の妻なんです。私たち夫婦がまだ東京にいた頃、先代が『跡取りがいないから会社を畳む』というので、それなら私に継がせてほしいと申し出て、脱サラして釜石にやって来ました」(大橋さん、以下「」内同)
システムエンジニアの前は、地震や地熱を探査する会社でデータ分析などの仕事をしていたという大橋さん。コミュニケーションスキルに自信があるわけではないといいますが、水産の世界では漁業関係者やスーパーのバイヤーなどさまざまな人たちとの対話が常に発生します。転職に至るまでに、迷いなどはなかったのでしょうか。
「これまでやってきた仕事はどれも好きでしたが、前職のシステムエンジニア時代は、どちらかというと人を管理する仕事が多かった。そっちもものづくりの世界ではありますが、もっと自分のアイデアでものづくりがしたいという気持ちが強かったので、釜石に来る時は即決でしたね」
ものづくりのためなら、不慣れなことからも逃げない。分からないことはどんどん周りに聞いて、経営者としての経験を積み重ねてきたのです。
井戸商店の扱い品目はイカ。それは会社のロゴマークにもなっています。 以前は異なる魚種を扱うこともあったそうですが、今は100%イカです。
「先代は当初、水揚げされた魚を凍結して、それを築地に送る仕事をメーンにやっていました。ところがその仕事は、水揚げのない時に暇になってしまう。そこで、イカをメーンに加工処理をしていく業態にシフトしたようです」
ものづくりを熱望していた大橋さんにとって、イカは格好の素材でした。
「普通の魚は形を変えようとすると身が崩れてしまいますが、イカはいろんな形にカットして調理することができます。こんな魚介類、他にはないと思います。スルメイカの中が空洞というのも面白いと思いませんか? いかにも、『中に何か入れてください』と言っているようで(笑)。実際、ご飯を入れるだけでイカ飯になりますよね。いろいろな可能性のある素材なので、アイデアは常に考えています」
井戸商店では主に、業務用のイカ加工を行っています。納品先はスーパーやレストラン、学校給食など。いろいろなサイズ、形にカットされて、北は北海道から南は鹿児島まで全国に送り届けられています。
それと並行して、イカの特性を活かしたオリジナル製品の開発も行ってきました。カットの工夫だけで人気となったのが、「ねじねじくん」、「花ちゃん」です。
「ねじねじくんはイカの繊維に対して斜めにスリットが入っていて、加熱した時にらせん状にねじれます。タレやソースが絡みやすく、和洋中問わずいろいろな料理に使うことができます。パスタやサラダなんかによく合いますよ」
一方、花ちゃんはイカの片面に、繊維に沿ったスリットが入っています。加熱すると平らのイカが反り始め、最終的には丸い花のようになるのです。
自身もイカが大好物だという大橋さんは、「このイカを子供やお年寄りにも食べやすくしたい」と語ります。
「イカというのは日本人が好きな食べ物で、消費量もサケに抜かれるまで1位でした。それだけ人気の食材なのに、高齢になって顎の力が弱くなると、食べづらくなります。私はそれを加工の力で何とかできないかと考えています」
先ほどのねじねじくんや花ちゃんも、スリット加工が入っているために噛み切りやすくなっていますが、別の加工法でも開発が進んでいます。具体的な製品名などはまだオープンにできないということですが、歯ぐきだけでも押しつぶせるような食感の製品を、すでに一部の老健施設向けに提供し始めています。
子供が喜びそうな製品も開発しました。構想のきっかけは20年ほど前にさかのぼります。
「東京にいた頃、よくコーヒーショップでホットドッグを食べていて、『魚のウインナーがあれば美味しいだろうなぁ』と思っていたんです。そこで、ウインナーを作っている工場に試作をお願いして、その後弊社ブランドで売り出しました」
そうして生まれたのが、「釜石いかウィンナー」です。
震災前から構想を練っていましたが、それが形になったのは2012年のこと。その後、自社工場でも製造できるように設備を整えましたが、現在は人手不足のため生産は一時的にストップしています。
「うちのメーンの仕事であるカット加工の仕事を安定させることが優先課題です。それができた頃に再開したいですね」
釜石いかウィンナーは2014年に「第1回 新東北みやげコンテスト」で入賞をした人気の商品。 自身の思い入れも強いだけに、早く再開させたいところでしょう。
東日本大震災では、9.3メートルの津波が観測された釜石市。 海に面して立つ井戸商店の工場も、大規模半壊の被害に遭いました。
「若い頃に地震のデータを扱っていた自分が、まさかこういう経験をするとは思ってもみませんでした。こんなに大きな地震が起こるものなのかと驚くほどの揺れで、まともに立っていられませんでした。幸い工場の裏が山になっているので、津波が来る前に全員で坂を登って避難しました」
津波により工場の2階部分まで浸水し、工場内に車も流されてきました。想定外のことばかりが起こる中、大橋さんの予備知識の通りだったのは、『災害時は電気、ガス、水道の順番で回復する』ことでした。
震災後は人手不足に悩まされる毎日。もともと68人いた従業員は、その半分以下の30人ほどにまで減ってしまいました。 工場の建て替えにあたっては、それを補うために効率化を重要視しました。
「新工場は知り合いの設計士に頼んで、作業効率や拡張性を考えたつくりにしてもらいました。作業スペースを広く取ったり、エレベーターの位置を変えたりして、以前よりも作業がしやすくなっています。最近新たにコンベアーを購入することができましたが、機械の導入も積極的に行っていきたいと思っています」
限られた人員でまずすべきことは、作業の効率化。 そしてその先に、大橋さんの切望するオリジナル製品の開発があります。
今も温めているアイデアは数知れず。 それらを形にするため、大橋さんの心に宿した「ものづくりの灯」が消えることはありません。
株式会社井戸商店
〒026-0002 岩手県釜石市大平町4-1-26 自社製品:イカ各種(オリジナル製品は「ねじねじくん」、「花ちゃん」)
※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。