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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

第92回宮城県株式会社 MCF

「魚屋さん以上、大手工場未満」でスキマを狙う

「大きな地震があった後、すぐに従業員を帰らせました。でも私はというと、工場に残って、のんきにマグロを冷凍庫に仕舞っていました。悪くしてしまってはいけないな、と思い……」

東日本大震災当日をそう振り返る、宮城県気仙沼市のMCF社長、千葉豪(たけし)さん。当時、同社の工場は、道路を挟んで目の前が海という場所にありました。

命からがら津波から逃れたMCF社長の千葉豪さん

▲ 命からがら津波から逃れたMCF社長の千葉豪さん

「停電のため車載テレビの映像を見ていたので、気仙沼にも来るだろうな、とは思っていました。それでも床上浸水くらいだろうと甘く考えていたこともあって、マグロの他にも、フォークリフトや車を周りよりも少し高い場所に移動させていました」(千葉豪さん、以下「」内同)

千葉さんがようやく危機感を持てたのは、その後に続いた強い揺れで工場の天井が抜けた時でした。

「これはまずいと思って、事務所の通帳を持って急いで避難しました。海を見ると、これまで見たこともないくらいに潮が引いていた。これは大きな津波が来ると思い、海沿いに車を走らせましたが、渋滞していたので引き返して別の道から山に向かいました。しかしその道でも、私は渋滞の最後尾になりました」

その時千葉さんの目には、津波が川を逆流している様子が見えていました。津波がすぐ背後まで来ているという状況で、千葉さんは決断をします。

「渋滞はしていても、海に降りてゆく反対車線は車がまったく走っていませんでした。普段ならやってはいけないことですが、津波にのまれるかどうかという切迫した状況だったので、反対車線を駆け上がりました」
千葉さんが車を停めて山から街を見下ろすと、ゴーッという轟音とともに、水しぶきが空に舞い上がっていました。街はいつもとは全く異なる景色に変わり、自分の工場がどこにあるかも分からないほどでした。

「工場ごと流されてしまったので、津波の後は片付けするものも特にありませんでした。その工場は自宅兼工場でもあったため、私は住む場所も失い、しばらくの間は仮設住宅での生活を余儀なくされました」

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