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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

第88回福島県株式会社 マル六佐藤水産

海水浴場も再開した相馬で、好漁のコウナゴから立ち上がる

「最初は消防団が『4メートル!』と言って回っていた。その時は正直、何を言ってるんだ、と思って聞き流していました。でもそのうち『7メートル!』『10メートル!』となって、自分たちも逃げないわけにはいかなくなりました」(マル六佐藤水産社長佐藤喜成さん、以下「」内同)

相馬港近くのマル六佐藤水産(福島県相馬市)の工場には、津波が来る直前まで、社長の佐藤喜成さんと奥さん、従業員2人が残っていました。大きな地震の後、従業員らには帰宅を指示したものの、まさか大きな津波が来るとは思っていなかったのです。消防団の呼びかけにあわてて、佐藤さんたちは何も持たずに近くの山へ逃げました。

マル六佐藤水産社長の佐藤喜成さん

▲ マル六佐藤水産社長の佐藤喜成さん

「津波で目の前に人が流されてきたので、木のツルを使って3人ほど引き上げました。この辺りは津波の被害が大きく、うちの工場も大型の自動釜以外はすべて流されました」

少し高い場所にあるマル六佐藤水産の工場でも、4メートル以上が浸水しました。その夜、津波が引いてからは家族全員が集まり、今後のことが話し合われました。

工場の天井近く(4メートル64センチ)まで水位が達した

▲ 工場の天井近く(4メートル64センチ)まで水位が達した

「地元で働いていた息子が『原発は爆発する』と言うので、家族で福島から離れることにしました。山形、新潟、神戸と親戚などを頼って移動し、長崎を目指しました。当時は長崎にタコの工場を持っていたので、そこに行けば何とかなるだろうと思いました」

しかし佐藤さんは、地元の買受人組合の組合長という立場でもあり、相馬に戻らなければなりませんでした。今後も仕事を続けるかどうか、組合の中で意思確認をしたところ、続ける意思を示したのは11社中2社。震災から2年後、佐藤さんは相馬で仕事を再開しましたが、15人ほどいた従業員はそこにはいませんでした。

「男性従業員はみんな退職しました。彼らも生活があるので、こちらの都合で再開するまで待ってほしいとも言えない。最初は一人でしたが、組合の仲間と協働して、タコ、ツブ貝、コウナゴの加工から始めました」

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