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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

震災ですべて失った中、背中を押してくれた暖かい声

震災は市哉さんが佐々直に戻って3~4年が経過した頃に起こりました。地震が来た当初は情報が入らず、なかなか状況がつかめなかったのだとか。従業員の息子さんが、東京からかけてきた電話で「大きな津波が来る」ということを知り、皆を非難させたのだそうです。

当時本社や工場のあった閖上地区は今まで津波被害がなかったこともあり、最初は「半信半疑だった」そうですが、結果的に大きな波によって工場4棟がすべて流され、当日が休日だった方、渋滞に巻き込まれた方など、従業員が5名犠牲となってしまいました。

名取工場直売所に飾ってある、被災する前の閖上地区にあった本社や工場のスケッチ

▲ 名取工場直売所に飾ってある、被災する前の閖上地区にあった本社や工場のスケッチ

震災後すぐは、120名ほどいた従業員の安否確認に追われる毎日。その中で、再起のきっかけとなったのは、取引先からの声でした。つきあいのあった百貨店や市場関係者から「また食べたい」「佐々直さん、がんばって」と復活を期待され、震災から2週間を過ぎた頃から、復活に向けてスタートを切りました。震災当時は稼働していなかった仙台市内の工場の建物が幸いにも使える状態で残ったため、拠点を閖上から仙台に移し、営業を再開したのだそうです。

「日数が空けば空くほど、売る場所が奪われてしまうので一刻も早く復興しよう、と社長が大号令をかけました。無事だった工場の床を張り替えて、メーカーさんにお願いして中古の機械をかき集めました。機械が稼働して、製造が再開できたのは震災後1ヶ月経った頃です。機械が変わってしまったので、最初の半年はどうやったら昔の味に戻るのか試行錯誤の連続でした」

最初の工場では、笹蒲鉾のみを製造。震災から1年後に、名取市内に新工場を建て、揚げ蒲鉾の製造もできるようになりました。震災後、一度は解雇した従業員も、徐々に再雇用を果たし、現在は100名弱の従業員が働いています。

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