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企業紹介第67回青森県株式会社マルチン

英語教師から珍味づくりに転身。工場長の新たな“宿題”

「ちょうどそのあたりに、私の子供部屋があったんです」

工場長の尾崎敦さん。壁にはマルチンの地域活動に対する感謝状などが並ぶ
工場長の尾崎敦さん。壁にはマルチンの地域活動に対する感謝状などが並ぶ

家族の記憶が残る事務所で、“昔の間取り”を説明するマルチン(青森県八戸市)工場長の尾崎敦さん。同じ建物の1階に自宅、2階に事務所を構えていますが、かつてはそれが逆で、2階に自宅、1階に事務所がありました。

「乾燥珍味の工場が隣にあるので、私も子供の頃はたまに手伝いをしていました。といっても、袋詰めしたばかりのさきイカのパックを手で振って形をなだらかにするとか、簡単な作業ですけどね。2人の弟ともども、パートの方にかわいがってもらったのを覚えています」(尾崎敦さん、以下同)

マルチンは1966年(昭和41年)に、尾崎さんの父であり社長の尾崎鉄蔵さんが創業した珍味製造・販売の会社です。当時はまだコンビニエンスストアがない時代で、酒を買う場所といえば酒屋さん。ビールと一緒にマルチンの乾燥珍味もよく売れていたそうです。

乾燥珍味の袋詰めは尾崎さんが子どもの頃から続く仕事の一つ
乾燥珍味の袋詰めは尾崎さんが子どもの頃から続く仕事の一つ

「現在の事業の柱は3つです。1つ目は、ホタルイカの沖漬けやイカの塩辛など生珍味の製造。2つ目は、さきイカの乾燥珍味や乾燥わかめなど乾燥製品の袋詰め。そして3つ目が、海産加工品の卸売業です。イカ飯、かまぼこ、煮魚などをメーカーから仕入れてお土産屋さんなどに卸しています」

生産体制整えるも取引先の被災で販路縮小

JR八戸線白銀駅の南側の高台に事務所と工場を構えるマルチンですが、津波被害はゼロではありませんでした。震災以前は海に近い新湊(しんみなと)地区にも生珍味の加工場がありました。

「当日は地震直後に停電になり、作業ができなくなったので、従業員の皆さんには帰ってもらいました。その時は情報が全く入ってこず、日本が今どうなっているのかということはおろか、津波が向かってきていることすら知りませんでした。津波のことを知ったのは、車載テレビをつけてからです。八戸港の様子が映されるたび、新湊工場のことが心配でなりませんでした」

翌日、尾崎さんが新湊工場に足を運ぶと、ひっくり返った車や、他社の工場から流れ着いた資材が辺りに散乱していました。

「工場付近には2メートルくらいの津波が来ていたようです。海水に浸かってしまった当社の機材も壊れてしまいました。片付けをしながら、『もうこういう思いはしたくないな』というのが正直な気持ちで、新湊工場はやむなく閉鎖しました」

それまで新湊工場で行っていた生珍味の加工は、津波の心配のない本社の向かいにあるプレハブ工場で行うことにしました。壊れた機材も修理できるものは引き続き使い、足りない機材は補助事業による助成金で購入。震災前とほぼ変わらない生産体制を整えて、これまで通りの商売ができるはずでした。

ところが、以前と同じように作ることはできても、肝心の販売ルートが縮小していました。マルチンの取引先となっている土産店は青森県だけでなく、岩手県から三重県にかけての太平洋沿岸に広く分布しています。その中には津波で被災した取引先も少なくなかったのです。そこに原発事故の風評被害も重なりました。

イカ飯に業績回復を託すも原料不足が直撃

この状況を打破するには、新たな販路開拓が不可欠でした。また、価格競争力を付けるため、品質を下げずにコストを下げる必要もありました。そこで尾崎さんは販路回復取組支援事業の助成金を活用し、作業の効率化と、これまで卸売りをしていたレトルト製品を自社で作るための機材を導入しました。

「従来、乾燥珍味の袋詰め作業には足踏み式の機械を使っていましたが、その作業を効率化するためにセミオートシール機を導入しました。この機械により、従来より作業効率が3割ほど向上しました。また、かくはん機を導入したことで、生珍味の生産能力が倍になりました」

製品の入った袋を真空脱気しながら封をするセミオートシール機
製品の入った袋を真空脱気しながら封をするセミオートシール機
原料と調味料を混ぜ合わせるかくはん機
原料と調味料を混ぜ合わせるかくはん機

自社製品の開発にあたっては、レトルト製品の加熱殺菌用に全自動小型高温高圧調理機を導入。これまでイカ飯やかまぼこなどのレトルト製品については、メーカーから取り寄せて販売する卸売業を展開していましたが、全自動小型高温高圧調理機の導入により自社工場での製造が可能になりました。

全自動小型高温高圧調理機でレトルト製品も作れるように
全自動小型高温高圧調理機でレトルト製品も作れるように

しかしオリジナルブランドの主力になるはずだったイカ飯に関しては、思惑が外れました。ちょうど試作をしていたところにイカの不漁が直撃し、原料を調達できなくなってしまったのです。

「輸入品を使えば作れないこともありませんが、当社は地元八戸のお土産用として売りたいので、八戸のイカでなければなりません。今はイカが手に入らないので、しばらくはかまぼこや煮魚など他のレトルト製品の展開を広げていこうと考えています」

英語教師も工場長も「教えて育てる」仕事

仕入れから営業、オフィスワーク、そして経営にいたるまで、工場長という枠を超えて一人何役もこなす尾崎さんですが、最初からマルチンで働いていたわけではありませんでした。もともとの職業は英語教師。父の仕事をいずれ継ごうと決心するまでは、八戸市内の高校に勤めていました。

「私は3人兄弟の長男ですが、父の仕事を継ぐ気はありませんでした。継いでほしいと言われたこともない。でも結婚を境に、『自分が継いだほうがいいのかな』と思うようになり、31歳の時に英語教師を辞めて、マルチンで働き始めました」

子供の頃に手伝いをしていたとはいえ、仕事としては未経験の業界。それでも入社当時から新商品の開発に積極的に取り組み、教師としての経験を活かして「教える」ということにも力を入れてきました。

「会社をここまで存続させてきた父と同じことはできませんが、私は教師の仕事をしていたこともあり、相手に分かりやすく教えるということに関しては得意です。人を育てることについては常に意識してきたので、従業員のレベルは確実に上がっていると思います」

企業の重要な資産といわれる『人、モノ、金』の中でも、人という資産を大事にしてきた尾崎さん。15人という小所帯ですが、人の力をどう売り上げに結びつけていくかが今後の鍵になるといいます。その一方で、現実をシビアにも捉えています。

「株価が上がっているというニュースを聞いても、我々の業界で景気の回復を実感している人はほとんどいません。同業者と話していても、まだまだ厳しい状況が続くというのが大方の見方。景気に左右されずにやっていけるような会社にしていかないと、今後は生き残れないと思います」

イカ、サケ、タラ、ホタテなど、マルチンが使う原料の確保も年々厳しくなっているといいます。そこで肝心なのは商品開発。工場長の尾崎さんにとって、新商品の考案も日常業務の一つです。

「導入した機材の中でも、全自動小型高温高圧調理機は大きな可能性を秘めています。常温で日持ちするレトルト製品を自社で作れるようになったので、その中から新しい柱が生まれれば業績は上向くと思います。規模として大々的にはできませんが、少しずつでもいいから自社製品を増やしていきたい。とはいっても、新商品は何十個も考えて、やっと一つ当たるか当たらないかという感じですけどね」

Failure teaches success.(失敗は成功のもと) 試行錯誤しながら、成功への道を模索していきます。

株式会社マルチン

〒031-0822 青森県八戸市白銀町南ヶ丘4-3
自社製品:ホタルイカの沖漬け、塩辛などの生珍味、乾燥珍味ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。