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企業レポート 被災地で頑張る加工屋さんをご紹介します

第68回宮城県株式会社小山平八商店

オリジナルブランドでとどろかせる祖父の名

3月11日。津波警報が出ているとはいえ、まだ何となく余裕を感じていた小山達也さん(小山平八商店常務)は、工場の片付けをしながら「家の車も移動させたほうがいいかな」と思い、外に出ました。

▲ 小山平八商店の常務取締役と冷食部門の責任者を務める小山達也さん

▲ 小山平八商店の常務取締役と冷食部門の責任者
を務める小山達也さん

「父の位牌を取りに一時帰宅していた母が、ペットのうさぎと少しばかりのお菓子を持って工場に戻ってきたところでした。地震で家の中がメチャクチャになっていて位牌は探せなかったようですが、工場から自宅までは歩いてすぐなので、自分も車くらいは取りに戻れるだろうと考えていたんです」(小山達也さん、以下「」内同)

ところがその時にはもう、津波は小山さんたちが暮らす気仙沼に到達していました。家に向かって歩き始めた小山さんの目に飛び込んできたのは、津波が橋にぶつかり、堤防を乗り越えてくる姿でした。

「工場に引き返そうと思って振り返ると、今度は300メートルほど先の丁字路で家の屋根や車を乗せた黒い波がぶつかり合って、それがまるで壁のようになってこっちに迫ってくるのが見えました。私は急いで工場に戻り、母や家族の迎えを待っていた従業員らと一緒に屋上にのぼりました」

工場2階にまで達した津波は、周辺の工場や家屋を破壊しながら、内陸部へと向かっていきました。小山さんたちはその光景を、ただただ眺めるしかありませんでした。

「大火事の一番ひどいところにいた私たちは、一晩中とても恐ろしい思いをしました。家庭用のプロパンガスが爆弾みたいにものすごい音を立てて爆発するたびに、ビクッとしていました。水位も下がってきたのですぐ近くの避難所に移動することも考えましたが、そちらは人でいっぱい。その日は結局、工場で夜を明かしました」

寒さも厳しい中でしたが、幸いだったのは作業着やビニールなど、防寒に役立つものがたくさんある工場にいたことでした。翌朝、小山さんたちは東京消防庁の隊員たちに救出され、中学校の体育館に避難しました。

「母はその後、自分の実家に帰り、他の人たちも仮設住宅に移っていきました。私は当時独身だったので、後回しになりました。結局半年間、学校の体育館で寝泊まりしていたことになります」

その間、小山さんは全壊した工場の後片付けをしていました。気が遠くなるほどの作業でしたが、一旦解雇せざるを得なかった従業員たちがボランティアとして加わるようになり、復旧作業は加速していきました。そして2011年12月1日、小山平八商店は新しい工場と、再雇用した従業員とともに営業の再開にこぎつけたのです。

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