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企業紹介第25回茨城県株式会社谷藤水産

勉強意欲に衰えなし。商品開発の最前線に立つ73歳会長

代表取締役会長のもう一つの顔は、新商品開発の最前線に立ち続ける研究者。73歳にして「まだまだ勉強が足りない」と盛んな意欲を見せる谷藤水産(茨城県大洗町)会長の田山慶一郎さんは、商品開発を加速させるべく2016年3月に「新商品開発室」を同社工場内に新設しました。

先行投資に積極的な谷藤水産会長の田山慶一郎さん
先行投資に積極的な谷藤水産会長の田山慶一郎さん

「当社は東日本大震災の津波による直接的な被害はありませんでしたが、その後の風評被害によって売り上げが震災前の7割に下がりました。今は9割ほどまで回復しましたが、状況を静観しているだけでは先細りしていくだけです。そうならないためには製品開発を継続して行っていくしかありません」(田山慶一郎さん、以下同)

これまで冷凍原料や干物製品を中心に取り扱ってきた谷藤水産ですが、家庭で温めるだけで食べられる簡便食品の需要が伸びている昨今の状況から、田山さんはレトルトパウチ製品や缶詰製品の加工を始めることにしました。

ただしそのためには新しい機材が必要。そこで田山さんは復興支援事業の助成金制度を活用して、レトルト殺菌装置や二重釜、バキュームシーマ封かん機などを新商品開発室に導入しました。

缶を密封にする「巻締め」を行う バキュームシーマ封かん機
缶を密封にする「巻締め」を行うバキュームシーマ封かん機
つくだ煮や煮魚を調理するレトルト殺菌装置は2台導入した
つくだ煮や煮魚を調理するレトルト殺菌装置は2台導入した

これですぐに新しい商品が生まれるわけではありませんが、まだ利益を生み出さない開発部門の指揮を会長自らがとるのは、一歩先を見据えた経営戦略があるからこそ。ご本人は「私が一番時間があるから」と言いますが、同社の長い歴史を振り返れば開発の仕事がいかに重要であるかがよくわかります。

明治時代から繰り返される業態転換

谷藤水産を創業したのは、田山さんの祖父・藤吉さん。
もともと漁師だった藤吉さんは、1907年(明治40年)に水産加工業を開始し、田山さんの父・庄太郎さんがその後を継いで1971年(昭和46年)に法人化しました。当時の大洗町には今よりも多くの加工場があったそうですが、事業を継続することは容易ではなかったようです。

「水揚げが少ない年は、どの業者も原料高に悩まされました。その場しのぎでは先行きが見通せないので、当社は昭和40年代から冷凍保管用の冷蔵庫の建設を進めて、不漁の年に備えるようにしました」

田山さんが1980年(昭和55年)、35歳で社長に就任してからもその方針は変わらず、新しい冷蔵庫が次々に建設されました。現在、谷藤水産が自営する冷蔵庫の保管能力は、茨城県内で最大級となる約3万トン。大きな規模で冷凍・冷蔵業を展開することにより、水揚量に左右されやすい加工業の安定化を図ってきたのです。

魚種の変化による転換期もありました。セグロイワシの漁獲量が減った頃、代わりに海外からシシャモの輸入が増え、大洗町でもシシャモの丸干し加工が盛んになりました。谷藤水産でも2代目の庄太郎さんの代からシシャモ加工を始めています。しかし国際競争の時代が訪れると、そうした加工の仕事は人件費の安い中国やタイに奪われてしまい、シシャモ加工業だけでは経営が成り立たなくなってしまいました。

「その当時、同業者の倒産が相次ぎました。このままではうちも駄目になると思い、北茨城市にも工場を作り、サンマやサバ、ホッケ、イワシなどの冷凍販売を始めました」

シシャモ一本に頼らないで扱う魚種を増やしたほか、漬け魚やみりん干しなどの加工販売にも手を広げて生き残る道を模索したのです。

高校生とコラボで誕生した缶詰災害食

震災後の販路回復を目指す現在も、谷藤水産には大きな転換期。かつて鉄製のレトルト釜でサンマの煮魚を製造していたノウハウを活かし、冒頭の新商品開発室では日々新たな試みが繰り返されています。

「当社には元料理人や栄養士がいますので、彼らと相談しながら新商品の開発を進めていますが、味付けにはまだまだ改良の余地があります。これから時間を掛けて、もっと勉強していかないといけません」

通常、缶詰製品は大規模な工場で作られており、1日数万缶の生産能力を持つ工場も珍しくありません。しかし新商品開発室に導入された機材では、1日4人の稼働で1000缶ほど作るのがやっと。それでも自社で原料を持つ強みを活かして、価格ではなく質の高さで勝負します。

「うちはほぼ手作りなので、1缶あたりの販売価格は大手加工業者の作る缶の倍くらいの値段になってしまいます。ですから純粋に魚の質と味を見てもらうしかありません」

缶詰が主役の産学協同のプロジェクトも生まれました。田山さんが30年もの間OB副会長を務める地元の那珂湊(なかみなと)高校とのコラボレーションで、魚の缶詰を使用した災害食が誕生したのです。

災害食として開発された「さんまの水煮」。製品ラベルには那珂湊高校の生徒が考えたひたちなか市準公認キャラクター「みなとちゃん」が使用されている
災害食として開発された「さんまの水煮」。製品ラベルには那珂湊高校の生徒が
考えたひたちなか市準公認キャラクター「みなとちゃん」が使用されている

このプロジェクトは、「栄養が偏りがちな災害食をおいしく栄養価の高いものにできないか」と考えた那珂湊高校の生徒たちが、水産原料を豊富に持つ谷藤水産に企画を持ち込んだことで実現しました。この缶詰は実際に販売もされ、周辺の自治体などが防災用に購入しているとのことです。

とにかく勉強、勉強、勉強。

新たに導入した二重釜を活用して、コウナゴやシラスのつくだ煮なども作り始めています。

▲ 二重釜で加工のバリエーションを広げていく
二重釜で加工のバリエーションを広げていく
▲ 味付けを試行錯誤している「しらすのつくだ煮」
味付けを試行錯誤している「しらすのつくだ煮」

「とにかく一年を通して、味付けや調理方法を勉強しながらいろいろなことをやってみようと思います。その中から、私たちの会社の規模でできることを探していくつもりです。これまでやってきた干物とこれから始める簡便食品では、製造の過程で衛生面でも気をつけるポイントが異なります。そのことも勉強しないといけません」

衛生面でも時代の変化に対応してきた谷藤水産は2013年に、食品衛生管理の基準を定めた「いばらきハサップ」の認証を茨城県食品衛生協会から受けました。

「衛生管理面については、パート従業員も含めて全員が意識を高めなければ維持することができません。若い人材の採用など、やるべきことは他にもたくさんあります。レベルアップするためには、まだまだ勉強が必要です」

田山さんの口から出てくるのは、最後まで「勉強」という言葉でした。

▲ 谷藤水産会長の田山慶一郎さん(左)と息子で社長の秀幸さん(右)▲ 谷藤水産会長の田山慶一郎さん(左)と息子で社長の秀幸さん(右)

株式会社谷藤水産

〒311-1301 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町2579
自社製品:子持ちししゃも、開きホッケ、冷凍サンマ、冷凍さば ほか

※インタビューの内容および取材対象者の所属・役職等は記事公開当時のものです。